⇙ 「緑の雇用」で学んだ間伐など、現場では通用しない。林業体験ツアーは求人のためのイベントだったのか?山の作業員は副業を持ち、別収入のある人が多いと聞く。例えば農業が多いのだが、ハウス栽培など雨の日でも仕事のできる人、あるいは年金受給者向きの仕事であり、実際のところ若者が専従でやる仕事ではないのではないか、というのが実感だ。では望みは何かと言われれば、せめて俺の収入で妻を養えるようになりたい。贅沢な生活を求めている訳ではない。山の仕事に贅沢は無縁だから…。

取材を終えて
 現場の労働環境を見直し徹底的な改善が急務
 山の従事者の低収入はかねがね聞く。その理由は、表面的には「伐採した木が市場で高く売れないから。相場に左右されるものだから。出材にかかる手間と搬出に費用が掛かるから」等々。こんなことでは、これからもイタチゴッコである。山の働き手・担い手が欲しい。若手が欲しい。この空念仏が空しく響く。
 林業従事者のための安定した収入を、システムの根本から変えない限り山に働き手は来ない。来ても収入の低さに驚愕して去って行くのが現状ではないか。今回、取材したケースのように、折角、安定した生活を送っていたが、真に遣り甲斐を求め転職した者を、如何に落胆させてしまっているのか、雇用者側は本当に判っているのか。笛太鼓で緑の雇用促進の名目で林野予算を使い喧伝しているが、現場の労働環境を見直し、徹底的に改善しなければ働き手は残らない。予算の多くを林業従事者まで回さない限り育成などほど遠い現状だ。
 他方で、国産材の需要拡大を促し森林環境問題をテーマにしたイベントやシンポジュームなどにかなりの予算を使い、数多く開かれている。これらのパネリストには識者やコンシューマの代表を名乗るお歴々が出席して一様に言う。『木は人に優しい。感性を育む。使うことによって住環境にいい。CO2対策になる。温暖化防止や森林の保護につながる』等々の謳い文句でしたり顔。そんなことは判り切っている。登壇する前に、まず現場を直視するべきだ。川上では如何に劣悪な労働環境の中、低賃金に喘ぎながら立木から素材として活用できるまでの長い道のりを、汗して歩んでいるかを…。

山の仕事に生涯情熱を賭けようと転職

《川上の実態を検証する》 転職したある林業従事者を追う

 彼の名前は森林育太郎(仮名42歳)、一つ下の妻は育子(仮名)、子はない。育太郎は1968年(昭和61年)県立工業高校を卒業と同時に東証一部の厨房メーカーに就職、昨年2007年(平成19年)までの21年間同社に勤務したが、林業に夢を抱き退職した。退職当時の年収約550万円、育子のパート収入約120万円の合計670万円、いわゆる“中流”である。
 林業は自然と向き合い誇りある仕事だと
 育太郎と育子は4年前の2005年(平成17年)愛知万博の見学に向かう地下鉄の中吊りで、林業体験参加者募集の広告を見付け早速、その年の夏に1泊2日の林業体験ツアーに夫婦で参加した。そこでは、想像に反して手ノコギリでの間伐の仕方を教わった。夜は職人たちを囲んで林業の話を聞いた。『頑張ればポルシェも乗れるよ』との話も出た。林業へ転職した育太郎の動機は、この体験談に憧れた訳ではない。それより林業への想いは確実に膨らんでいった。
 一昨年の2006年(平成18年)、3ヵ月にまたがるA県下の林業体験ツアーへ再び参加した。その年の5月は、一泊2日で植林作業を行い、7月には同じ日程で下狩り及び刈払い機の取り扱い、9月も一泊2日で間伐、チェーンソー、ロープワークの取り扱いなどそれぞれ実習。林業へ育太郎の胸はますます膨らんでいった。
 その時、彼の感想を聞くと『刈払機、チェーンソーを使っての体験は良かった』と話した。昨年2月、彼は妻の同意に力を得て、T森林組合に『山の仕事をやりたい』と直接聞いてみた。すると『緑の雇用があるから』と紹介され、転職を決意、その準備に入った。2ヵ月後の4月、長年勤めた厨房メーカーを、山の仕事に就くために退職した。6月には『緑の雇用』の実習を受け、転職への本格的なスタートを切った。それからの3ヵ月間は県有林での下刈りが続いた。
 通勤が困難、現地へ転居
 彼はこの実習をする中で、N市内から就職する現地までの距離は、『通勤はとても無理』と判断、T市内に引っ越しを決めた。転居のために6年前に2750万円で購入した3LDKマンションを2580万円で売却、それに伴う手数料、引越費用、雑費などで約100万円近い差損が生じたが、これを良しとした。転居先の住まいは2DKの賃貸アパートに決めた。家賃7.5万円。
 昨年の9月から11月までは県有林で間伐に従事。12月からことし2月までの3ヵ月間は林業機械班で集材作業。フォワーダでの集材、枝打ち作業などに従事した。この4月、T森林組合の支所作業班員となり、仕事が本格的にスタートし今日に至る。いまの経済状況は月収約15万円前後、育子のパート約8万円の生活。前職とは約半分以下の収入となり、この差は余りに大きい。夢と現実の差をまず痛感させられた。
 あまりの待遇の低さに驚嘆
 N市内に居たころはレジャーにも使える普通自動車だった。燃費も考えて山間部の仕事には不向きと軽自動車に変えた。
 就労して最初に襲われたショックは、作業現場の山へは自身の車で往復約1~2時間以上掛けて行き、車両手当どころかガソリン代さえも自己負担。次に仕事に関わる費用は貸与のチェーンソー以外の作業用具、部品購入など全て自費。現在の月収は、手取りで約15万円(10万円を切る時も)と妻のパート収入を足しても、作業に関わる負担分と生活費や家賃・光熱費などで残りはゼロ。いまは退職金を取り崩しているのが現状だ。これでは身分や収入の保証も何もない。山仕事(樵)難民だ。作業前のミーティングらしきものもない。ただ現場に行って『親方と一緒にやってくればいい』である。
 さらに悲惨なのは、雨の日だ。山仕事が休みとなり収入はゼロ。雨が続けば日当のため、当然収入は減る。何ということだ。日雇い労働者並みだ。落語ではないが『大工殺すには刃物はいらぬ。雨の三日も降ればいい』を思い出す。これは正に『俺のことだ』と…。
 転職は『自己責任』と自ら言い聞かせて
 育太郎が21年間勤務したのは工場内だった。林業の収入についてはある程度覚悟はしていた。それより『林業は自然と向き合いながら、国土の保全や治水は環境保護にも役に立つ誇りある仕事』として就労した。今は転職したことを『自己責任』と自ら言い聞かせ、『悔やんでも仕方がない。ただ頑張るのみ』と考えている。
 夏場、炎暑での下刈りは、重労働以上の何ものでもない。そんな現場でも手当が上乗せされる訳でもなく、仕事に対する情熱も戦意も喪失してしまう程の孤独な作業である。「ポルシェに乗れる」など目的ではなかったが、これでは『そんな気にもなれない』。本音を言えば『妻に苦労かけてまでやる男の仕事なのか?』と自問自答の日々が続いている。
 ここに挙げた例は、ほんの一例である。組合職員と作業を共にする山林測量は、職員は公用車で自己負担はない。『われわれ作業員は自前の車で山中を一日中走り回って、ガソリン代は1円たりとも支給されない』。『山林測量は共同の仕事ではないか。こんな差別がこの世にあって良いのか』。さらに育太郎は、自嘲気味に次の話を続けた。 ⇗
 わが国の林業は何処へ行こうとしているのか!?(写真はイメージ)
 勇躍!大きな希望を抱いて林業の現場に入った(写真はイメージ)
 妻に現場を案内してみたが会話は弾まない(写真はイメージ)
 現場は危険と隣り合わせ、保障は皆無に等しい(写真はイメージ)

余りの低賃金に、ギブアップ?!

                                                                  woodfast '08.11