第62回神宮式年遷宮行事は、平成17年5月に山口祭(やまぐちさい)・木本祭(このもとさい)に始まり、同25年10月2日(外宮は10月5日)の遷御、奉幣、御神楽に至るまで30に及ぶ祭典・行事が行われる。その内12の主要な祭典についての日時は、御治定(ごじじょう、天皇陛下の定め)を仰いで決められる。行事の中で国民参加ができる唯一の行事に、伊勢の旧神領民を中心とした全国の特別神領民をもって、お木曳き行事とお白石持行事が行われる。
 今回、大湊奉献団の一員として地元の株式会社鈴工の牛場まり子社長(三重県伊勢市大湊町656)の招待を受けた取引関係者らは、特別神領民となり内宮「お白石持大湊奉献団」に参加した。
 8月8日、宇治山田駅に12時集合した一行12名は、牛場社長初め、牛場正人営業部長、牛場説規製造部長、辻田真也営業課長の出迎えを受けて専用バスで内宮へ。内宮御垣内参拝と内宮神楽殿で御神楽ご祈祷を奉納してから、二見浦の二見興玉神社へ向かい、参拝を済ませたあと宿泊先のエクシブ鳥羽アネックスへチェックインした。夕食はホテルでフランス料理を賞味して初日の日程は終わった。
 翌9日9時ロビーに集合した一行は、大湊町奉献団名入りの揃いの法被姿に衣替えしてお白石持行事に参加した。お白石持行事は一連の式年遷宮諸行事のひとつであり、 新しい内宮御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する。この民俗行事に参加する奉献団は77団あり、行事中の総延べ人数5000人に及ぶという。
 この日の出発地の浦田駐車場には、前山町養命団、豊榮会、北浜連合の奉曳車の3団と、77ある奉献団の中で最大規模の大湊奉曳車が勢揃いした。奉曳車上の四斗樽には数年前から宮川の河原より拾い集めた「お白石」を三段重ねに満載して出発式のお祓いを受けた。
 出発を心待ちにしていた奉曳車の前では、可愛い子供たちの“木遣り”に続いて、威勢のいい粋な大人たちの“木遣り”の披露に続き“エンヤー、エンヤー”の掛け声で、奉曳車を曳く2本の綱の長さ400メートルに及ぶ極太の綱を、善男善女の曳き手は心を一つにして、旗印大湊をなびかせ宇治橋に向けて10時10分に出発した。  
 奉曳車は“エンヤー、エンヤー”の声を響かせ、伊勢街道を通り、おはらい町の町並みへ入ると、お年寄りも子供も一緒に曳けるように細い綱を前に繋ぎ足して更に曳く綱を長くした。道中、綱の曳き手は向かい合って、時々その長い綱を交互に激しく練り交わすので、手や身体を挟まれ怪我をする人も時にはでるという。
 大湊の奉曳車は当日の気温37度の猛暑の中、内宮入口の宇治橋直前の控えでクライマックスを迎える準備を整え、勇壮な“エンヤ曳き”で2時過ぎ無事に奉曳車は宇治橋の下に着いた。
 宇治橋の下に着いた奉曳車からお白石は、数台の大八車と天秤で担ぐ樽へと素手で降ろされ宇治橋を渡り境内に入った。神域に入ってから一人ひとりにお白石が配られ、それを白布に包み持ち、遷宮後は立ち入りできない四重の御垣内の御門をくぐると、そこは内院。萱葺きの屋根を見上げ、その神々しさに感動を覚えつつ、神木のヒノキの香り漂う真新しい神明造の御正殿の近くまで進み、拝受したお白石に思いを込めてお敷地に奉納し、二度と入ることのできない神域を静かにあとにした。
 無事にお白石持行事を終えた一行はホテルに戻り、安堵と心地よい疲れの中、夕食は地元伊勢の海の幸に舌鼓を打ちながら、牛場社長に20年に一度の行事の体験に恵まれたことに感謝を表し歓談した。翌10日、二泊三日の「お白石持行事」に歓待を受けた一行はロビーにて解散し帰途に着いた。
 ちなみにお白石持行事は、一連の遷宮諸行事のひとつであり、「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択され、また伊勢市の「無形民俗文化財」として指定されている。このお白石が内宮、外宮の順に奉献されると式年遷宮は最終段階を迎える。
(伊勢市HP・一部引用:しげぢいの佐田浜日記)
20年に一度の伊勢神宮式年遷宮

【余録】大湊奉曳車のこと
 このたび、関係者一同が招かれて伊勢神宮式年遷宮の一環として「お白石持」行事に参加したが、これは、そもそも(株)鈴工現社長の牛場まり子氏の祖父・強力善次氏(故人)が木造船業として大正7年8月創業、それに由来する。この間、善次氏が製作に当たり、稀有な銘木と木造船業で培った匠の技を屈指して作り上げ、百年の時を経て今も脈々と受け継がれているもの。
 牛場まり子社長が今回の「お白石持」行事に関係者を招いたのは、個人事業からちょうど100年にあたり、祖父を偲ぶと共に謝恩の意味を込めて、皆さんを伊勢で特別神領民としてお持て成ししたい一心でお迎えしたもの、と振り返ってくれた。
・式年遷宮
 神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。神宮では、原則として20年ごとに、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣内(みかきうち)、御饌殿(みけでん)など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替えられる。
 記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代、天武天皇が定め、持統天皇の治世の690年(持統天皇4年)に第1回が行われた。その後、戦国時代の、120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、1993年(平成5年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている。
・式年遷宮では多くの祭典と行事が行われる
 遷宮の最初の行事用材を切り出す御杣山の山口にある神を祭る儀式。平成17年5月山口祭(やまぐちさい)、木本祭(このもとさい)から始まり、33の行事が行われる18番目に当たる行事が、お白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)。
 遷御(せんぎょ)と呼ばれる、御神体を旧殿から 新殿に遷す式年新宮の最大イベントが、 内宮は平成25年10月2日 外宮が、同年10月5日 となっている。
・用材
 遷宮においては、1万本以上のヒノキ材が用いられる。その用材を伐りだす山は、御杣山(みそまやま)と呼ばれる。御杣山は、14世紀に行われた第34回式年遷宮までは、3回ほど周辺地域に移動したことはあるものの、すべて神路山と鳥路山、高倉山という内宮・外宮背後の山であった。
 その後、内宮の用材の御杣山は第35回式年遷宮から三河国に移り、外宮の用材の御杣山は第36回式年遷宮から美濃の国に移り、第41回式年遷宮から第46回式年遷宮までは伊勢国・大杉谷を御杣山とした。この伊勢国大杉谷は、徳川御三家の一つ・紀州徳川家の領地である紀州藩にあった。
 しかし、原木の枯渇による伐り出しの困難さから、第47回式年遷宮から、同じ徳川御三家の一つ・尾張徳川家の領地である尾張藩の木曽谷に御杣山は移された。以後、第51回式年遷宮のみ大杉谷に戻ったものの、300年以上にわたり木曾谷を御杣山としている。
 明治時代には、木曾谷を含む尾張藩の森林は国有化された。明治時代後期から大正時代にかけて、木曾の赤沢をはじめとする地域に神宮備林が設定され、樹齢200年から300年の用材の安定提供を可能とする計画的植林が行われ始めた。第二次世界大戦後、神宮備林の指定は外されたものの、以後も遷宮用材の主な供給地となっている。
 神宮では、1923年(大正12年)に森林経営計画を策定し、再び正宮周辺の神路山・島路山・高倉山の三山を御杣山とすべく、1925年(大正14年)または1926年(大正15年/昭和元年)から、三山へのヒノキの植林を続けている。遷宮の用材として使用できるまでには概ね200年以上かかるため、この三山の植林から生産された用材が本格的に使用されるのは110年以上後の2120年頃となる。また、この計画は、400年後の2400年頃には、三山からの重要用材の供給も目指す遠大なものである。なお、内宮正殿の御扉木について、本来の様式通りに一枚板とするためには、樹齢900年を超える用材が必要となると試算されている。2013年(平成25年)に行われる予定の第62回式年遷宮では、この正宮周辺三山からの間伐材を一部に使用し、全用材の25%が賄われる。
 さらに、明治100年記念として神宮が購入した宮崎県・鹿児島県の記念林は、当初の目的は財政補給であったものの、ヒノキの生産に適していると見られることから、三山および瀧原宮の神域林とあわせて、用材の供給源となることが期待されている。
 式年遷宮の際に解体される旧殿に使用された用材は、神宮内やその摂社・末社をはじめ、全国の神社の造営等に再利用される。例えば、内宮正殿の棟持柱については宇治橋神宮側鳥居となり、さらに関の東の追分の鳥居となる習わしである。また、外宮正殿の棟持柱は宇治橋おはらい町側鳥居となり、さらに桑名の七里の渡しの鳥居となる習わしである。2013年(平成25年)の遷宮では、ヒノキ不足から遷宮史上初めて、青森産のあすなろが用いられている。
                                  資料;ウィキペディアフリー百科事典
お白石を御敷地に奉献する人たち (写真提供:伊勢神宮司庁)
株式会社鈴工の招待で取引関係者、
お白石持行事に大湊奉献団の一員で参加
奉曳車は、牛場まり子社長の祖父・強力善次氏(強力造船所初代社長=故人)が、希有な銘木を船大工の技を活かして造り、父の強力辰夫氏(二代目同=故人)が継承、そして今へと引き継がれている
勇壮なクライマックス“エンヤ曳き”
お白石を素手で降ろす様子(写真:民族革新会議公式ブログより)
奥に見える奉曳車、長い綱を練り歩く奉献団の人たち
無事に宇治橋の下に着いた大湊の奉曳車
威勢のいい粋な大人たちの“木遣り”
可愛い子供たちの“木遣り”
出発前のひととき
お白石満載の奉曳車
巨大な桜の幹を輪切りにした車輪の直径は170㎝
お白石持行事
神宮神楽殿にて神楽奉納、神宮独特の乙女舞(写真提供:伊勢神宮司庁)
二見浦にて 二見輿玉神社を
参拝した一行
お白石持奉曳車出発前の神事
ガイドから伊勢神宮について説明を聞く
Woodfast '13-9
宇治橋前にて ㈱鈴工の牛場まり子社長(前列左から3人目)と一行