▲長さを選別しながらパーカー1・2へ送るターンテーブル (エノ産業㈱)

▲リングパーカー2基 (エノ産業㈱)

▲長さ決めと剥皮した原木は製材機へ

▲原木を最適な木取りでツインバンドソーへ指示を出すオペレーター

国産材「杉」&「NZ松」梱包材生産の
新工場訪ねて
  株式会社オービス(広島・福山)

 中浜勇治社長(昭和39年生れ)、前社長の故・御興岩男氏の
辞任に伴い平成23年1月、社長に就任、現在に至る。

▲ツインバンドソー1・2 (㈱富士製作所)

▲太陽光パネル(約800kW)/パワーコンディショナー

▲丸鋸2000㎜φによる玉切り 3.35/4/5m にカット (エノ産業㈱)

3枚エッジャ (㈱CKS)~ビンソーターへ

▲「新開発」 スーパーカットライン14㎜厚材なら18枚重ねカット可能(㈱鈴工)

▲ビンソーター及び棚ソーター排出部(自動段積、自動大結束) (㈱鈴工)

▲4m 薄物用ビンソーター (㈱鈴工)

        ▲左:2m 薄物用(14㎜)ビンソーター(17ブース)
          右:4m 薄物用(14㎜)ビンソーター(15ブース) (㈱鈴工)

▲ビンソーター(20ブース)前の木口カット及び幅・厚み計測部 (㈱鈴工)
(計測センサー ドイツ・LIMAB社製)

▲全ての加工機から2か所の選別場所に集約される (㈱鈴工)

→原材料のNZ松について、比較的安定した供給を受けていたが、平成19年頃からロシア材の関税が原因で高騰したため、NZ松の値ごろ感からか中国の爆買いが始まり、NZ松も高騰の要因を招く結果となった。この価格の不安定な数年を企業努力で切り抜けることができた。
 負の事業に結果となった事象は、木材事業部として南松永工場の老朽化も考慮に入れて更なる飛躍を願って平成20年8月にNZ松梱包材専用の姫路工場を建設した。特徴としては無人化に近い工場を目指したが、それよりも予定の生産量と歩留まりを上げることができず、同26年11月、閉鎖を余儀なくされた。
 これらの結果を踏まえて為替の変動や原木の量的確保などを考慮してNZ松材100%から脱却して、国産スギ材と併用しようと全国の杉の産地へ出向いて、姫路工場閉鎖後のこともあり商材を求めて全国を回った。その商材活動の傍ら、今後必要とする原木の径は300㎜上でB.C材OKの条件で買い付け交渉を始めた結果、量と価格の折り合いが付く見通しを得た。
 この見通しから新工場建設に向けたゴーサインは、国の後押し(補助事業)、現工場の老朽化、NZ松オンリーの脱却、労働環境の改善、の四つの課題が新工場建設によってクリアできること、今後の10年20年先を見据えた等々が建設進行の決め手となった。
 次に原材料のバランスの取れた確保と見通しと並行しながら進めていた、NZ松と杉製材の新工場の生産設備については、当社の要望の年間約11万5000㎥の内、杉7万㎥、NZ松4万5000㎥の製材量が確保できる生産ラインとして、国内機械メーカー5社とタッグを組んで、設計のまとめを各社が労を惜しまずプレゼンを重ねてくれたこと、また、深夜に及ぶこともあったが基本設計をまとめることができた。

装置メーカーへの要望ほか
 機械が稼働して5か月経つ今、製材機械や搬送装置の部分に負荷が超えることで、トラブルが発生している。原因は、その箇所の材質強度の不足であるとして、メーカーは週末などを利用して部品交換などを済ませてくれている。
 材料について、杉材を加工して分かったことだが、芯割れやアテが杉の難点と言える。その芯割れやアテが加工中に跳ねて飛び、装置をしばしば停止することがある。
 では、説明はここまでとして工場を順次案内しましょう。

  梱包用製材の大手メーカー、株式会社オービス(本社:広島県福山市松永町6-10-1、
中浜勇治社長、資本金6億8,498万円、東証JASDAQ上場、TEL084-934-2621)が、
2017年春から同市柳津町1-11-8の敷地21.000㎡に、工場建物11.000㎡に最新の機械
設備及び付帯設備に総費用約50億円を投資して整備していた新工場が、2018年3月に
完工して操業を開始しているが、このほど現場を訪ねた。

▲ツインセンターバンドソー1 (㈱富士製作所)

▲ツインセンターバンドソー手前から1~2(㈱富士製作所)

▲写真上4点 “思わず、凄い の一言” 原木から梱包材の多品種をメリーゴーランド方式で見事に木取りするマシンと仕分け搬送の連携ラインは壮観!
製材機械=㈱富士製作所/㈱シーケイエス・チューキ/横山鐵工㈱/搬送装置=㈱鈴工

                                                                     Woodfast '18-11

URL: 株式会社オービス

▲非常電源専用受電設備

▲熱処理乾燥装置 50㎥×3基 (㈱新柴設備)

▲研 磨 室

▲3枚リップライン投入部(㈱鈴工)のセンターカット及びオートテーブル

 まず、会社の経歴について常務取締役で木材事業部長の谷本泰氏から説明を聞いた。
 
 当社は昭和25年に、現社長の父であり創業者である中浜勇氏が誕生の地である広島県世羅郡世羅町で地松の山林作業の請負を始めてから、パルプ用材の集材や坑木、杭丸太、チップ、建築用材等を取り扱う事業を行って以来、業容の順調な拡大に伴い昭和34年、有限会社中浜材木店(出資金1000万円)を設立したあとも、一貫して木材加工を事業の柱としてきた。昭和49年、有限会社から株式会社への変更やグループ会社の合併等を経て平成4年4月に「株式会社オービス」に商号を変更した。
 その間を経年で説明すると、昭和37年に世羅町の製材工場でコンクリート用型枠パネルを生産、需要も大阪万博(昭和45年3月~9月)の影響もあって好調に受注も推移した。一方、昭和40年代に入った頃より、原材料である地域の赤松の出材が減り量的に入手も困難な状況が生じていたところに、広島・廿日市港にNZ松(ニュージーランド松)が揚がり、商社を通して量的に問題のない同松の利用を勧められた
のがきっかけで、昭和43年3月にNZ松専門の製材工場を世羅町に新たに建設した。その工場では梱包材のほか建築用構造材の生産も開始した。
 当時のNZ松は大径だったので、梁・桁や母屋を取ることができたことから、ここに住宅部材として有効な主力事業として旺盛な需要に応えることができた。時同じくして、プレハブ部材の生産も開始した。そして昭和46年6月には、福山市南松永町に製材工場を移転したのを機に、プレハブハウスの完成品の本格的な販売を始めた。昭和40年代のことである。
 各グループの事業も順調に推移している中で、生産品の一つであったコンクリート用型枠パネルが、低価格な合板の台頭によって生産量は落ち込むこととなる。理由はラミナを横ハギして集成板にして枠に張りコンクリートパネルに仕上げる工程は、工数がかかるうえ価格面もあって需要も減少し始めたことから、梱包材への生産にシフトすることになったが、思えば梱包材は創業当時からの生産品であって、新たな製品作りではなかった。

 さて、当社が主力に扱うNZ松梱包材製品については、平成2年代のことである。豊橋市に建設した東海工場から製品は東日本、東北へ、南松永工場から西日本、九州へと、こうして、この2工場体制で月2万~2万2千㎥の生産量は年にして約26~28万㎥のNZ松の消費量が梱包材製品の販売、供給体制を構築したことになる。さらに平成18年9月に、本社の木材事業部を軸としたグループ企業の実績、総合力をもって東証JASDAQ(スタンダード)に上場を果たした。→


空撮P:オービス提供

▲出荷を待つ製品

▲福山工場事務所

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